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2018-02-04 (2)


プロゲーマーのウメハラ選手が、2月4日(日)14時からNHK文化センター青山教室で講演を行いました。
受講チケットは完売、受講者140人と大人気で、BeasTVでのライブ配信も行われました。

予定より短い40分程度で言いたいことをすべて話し終えてしまったことに戸惑うウメハラ選手でしたが、ウメハラ選手らしい深い話を例え話や過去の経験を交えて語ってくれました。
今回の公演のテーマ「自分の人生を生きる」という難しい内容について何を話すか悩んだそうですが、プロゲーマーを目指す若者への本音を話すことにしたと明かしており、「本当に好きなものは何か?自分の本心に嘘をついて生きていくのは良くない」というメッセージが込められています。


配信アーカイブ
https://www.twitch.tv/videos/225551920





以下、ウメハラ選手の話内容まとめです。
40分と短いので、再生速度を早めて上の配信アーカイブを見た方が正確かつ早いかもしれません。



講演のネタに悩んだ
・普段考え事をする時は歩く。散歩しながら考えていると、良い考えが浮かぶことが多い。
今回も講演の内容について考える時は、ずっと散歩してたら1週間で175kmも歩いてた。しかも途中で1回雪降ってるし。
なんで難しいんだろうと考えた。1つは「自分の人生を生きる」というテーマが難しい。
もう1つは、講演の後のことを考えた。上手いこといけばまた講演の話とか仕事の話が来るんじゃないかという不純な動機があることに気が付いて、そういう時は本領発揮するのが難しいことが経験から分かっているので、自分の話したいことを話して良しとしようと思った。


プロゲーマーになって今年で9年目
・プロになったのは2010年。昔はコンビニのバイトを1週間とか2週間で落とされて、2連続で1週間でクビになって、3回目は面接で落とされて「なかなか見る目がないある人だな」と思った。そういう社会になじめない人間だった。
それでも9年目なので、そんな奴でも務まる仕事があるんだとちょっと驚き。
当時に比べればプロゲーマーも増えたし、色々なメディアからeスポーツやプロゲーマーを扱ってもらえて、上り調子かなと思う。


プロライセンス
・今までのプロゲーマは企業がスポンサードすればプロゲーマーだったのが、今後はライセンスを貰えば人前でプロだと言える時代になるっぽい。自分もくれるということなので、貰うことにした。
・最初は「貰って大丈夫なのかな?」という気持ちがあった。貰うことでのびのび快適にやれている活動に、何か制限があるという話は今のところないし、そうなるなら返上すればいい。わりと軽い気持ちで受け取ることにした。
・主戦場は北米だし、自分たちには関係ないという気持ちが、(既存のプロゲーマー)みんなの本音かなと思う。
・既に企業にスポンサードされている人たちはどっちでもいいけど、これからプロになる人たちにとっては、希望の持てる制度なんだなと何となく想像がついた。受け取らないと水を差すことになっちゃうのかなと余計なことも考えたりもした。
・進学や就職に悩んでいる若い人には、自分の好きなことが仕事になって飯が食えるというのは魅力的に映るみたいで、自分のところに相談に来る人も何人かいる。そういう時は人のことなので「いいんじゃない?」ってい言うけど、どんな業界でも若い人に入ってきて貰わないと困る。ただ本心がそこにすべて詰まっているわけではない。


今回の講演のテーマ
・若い人に向けて、普段言わない本音を今回の公演で話すことにした。


将来の仕事について考えていた過去、麻雀時代のエピソード
・11歳から22歳までほぼノンストップで格ゲーに打ち込んできた。14歳くらいからは、1年のうち2日を除いて毎日ゲーセンに通っていた。22の終わりくらいに、自分がどういう生き方をしていくのか何も固まっていなくて生きていくのはきついと思うようになった。自分の人生でどんな仕事をするか意識するようになった。
・子供の頃から「自分のペースで働きたい」というものだけがあった。22歳くらいまでの経験・知識で一般の仕事をしたら、相当な貧乏暮らしになることは分かった。それまでの経験や学んだことを生かして、自分の好きなように働ける仕事がないかと思った。
1つのことに打ち込んだり、勝負の世界で頑張るというのは他のジャンルの人たちと比べても自信があったので、結局麻雀の世界に行った。
・麻雀の世界に入って週5日、1日12時間働いて、それが終わったあと麻雀牌を並べて研究していた。その姿勢を見て周りのアルバイトからも熱心さを評価された。「世界チャンピオンになる奴は違うねー」みたいな事も言われてた。振り返っても、なかなかの取り組みだったと思う。
2年くらいしたら、麻雀の勝ち方が分かってきて達成感があった。ゲーム以外でも成果が残せるんだなという自信がついた。
・それでも、麻雀の世界に入ってから3年くらいで結局麻雀の世界から手を引いた。理由は聞かれた時に答えてきたけど、本当のところは違う。ゲームは11歳から22歳までやって、紆余曲折を経てプロゲーマー9年目なので、他のものとはレベルが違う。違いを考えたら、ちょうどいいエピソードがいくつかある。
・麻雀をやっていた3年間で、嫌なこともあった。歌舞伎町で麻雀をやっていたら、台を叩いたり「暴れたい気分だなー」と言ったりして脅してくる客がいた。自分に言ってるのは分かったけど、そこで席を立つのも癪だったので、そこからしばらく打った。その店には二度と行かなかった。あんなのを野放しにする店は行くわけない、潰れるだろうと。実際潰れた。
自分が勝ち始めると、コンビ打ちをしてくる奴がいた。麻雀は、俺が勝たなくてもお前が勝てばいい、あいつ気に食わないからやっちまおうというのがゲームの構造上可能。それをある特定の条件で暗黙の連係プレイが他人同士でも生まれることがあるし、それが醍醐味だとも思うけど常に行われるとゲームとして歪んでしまう。
それを自分が働いてる店で、そういう環境ではやってられないと理由をつけて辞めて、結局そこも潰れた。


ゲームと麻雀の違い
・ゲーセンでも嫌なことはあった。麻雀時代と比べ物にならないのがあった。13歳の時に最寄り駅のゲーセンで格ゲーをしていたら、自分に何連敗かした対戦相手(おそらく20歳以上)に、いきなり顔面を殴られた。いくら足立区でもそれはねえんじゃねーの?ヤバい奴らは周りにいくらでもいたけどこいつはレベルが違うなっていうくらい。
そのあと外に連れていかれて何発も殴られて血だらけになった。顔も腫れて親や学校で聞かれたけど、あまり本当のことは言わなかった。その後は、他のゲーセンでプレイしてた。傷が癒えても、夜寝るときに、怒りで寝られなかった。殴ってきた相手はどうでもいいけど、自分に腹が立った。自分は何も悪いことをしていないのに、抵抗せずに何もしなかったんだ、臆病な奴だと何日も自分をものすごく責めた。
・次第にゲーセンで格ゲーをやっていても全然面白くなくなった。当時のゲーセンは人目を忍んで行くところで、あまり知られたくない趣味だったからこそ、ゲーセンにいる時は堂々としていたいというのがあった。それなのに本来行きたいゲーセンに行かずこそこそ練習して、俺の青春はこれか?といてもたってもいられなくなって、もう1回あのゲーセンに行く決心をした。
・店のドアを開けないと中の様子が分からなくて、ドラドアの前で立ち止まって考えた。こんなことをした何の意味があるのか?ゲームなんてどこでも出来るんだから帰ろうとも思ったけど、最悪のケースを考えた。
ドアの前にあいつがいて、殴られるのが最悪のケース。このままチャリで帰れば少なくとも顔がボコボコになることはない。どっちが恐いことなんだろう、嫌なんだろうなと考えたら、圧倒的にこのまま帰る方が恐いことだと気づかされた。ここで殴られることの何倍も自分の人生に大きなマイナスがあると気づいた。
そこに気づいたことで勇気が湧いてきて、ドアを開けた。結果いなくてその日もプレイして、2・3回行ったけど潰れてしまった。そういう危ない場所なので長続きしなかったんだと思う。
・そこでドアを開けてゲームしたことで、夜に自分を責めることがなくなった。自分自身に許された。
これが麻雀に打ち込んでいた時に殴られてたら、その店に行くわけない。コンビ打ち同様、格ゲーでも卑怯だと思う行為はいくらでもある。そういうことを当時やられてたら、自分も仲間をみつけて2対2でやり返すか、1人でも勝てる工夫を死ぬ気で考えた。格ゲーならそういう対処をした自信がある。
・その大きな違いは、麻雀は”手段”だったこと。人生どうしようかな、比較的向いてるもので飯食おうかなという動機が入口だったから、いざという時に本性が出る。本気で好きじゃないものに打ち込んででも、何か障害が出たときに理由をつけて避ける。「あんなマナーの悪い店に行ってもしょうがない」「コンビ打ちなんてどうしようもない」というのは本当に好きなものに打ち込んでいる考えじゃない。
殴られた時も「相手が大人だから~」「おかしい奴だから~」「武器持ってるかもしれないし~」という理由はつけられるけど、心から好きだから納得しない。


プロを目指す若者は、本当に格ゲーが好きなのか?
・若い子がプロになるのは大いに結構だけど、本当に好きなのかな?ということは言いたくなる。周りに流されてないか、進学や就職が面倒だし、結構好きだからやってみようかみたいに思っていないか。
本当に好きだと思えるものが見つかっていないなら、そっちを見つける方が大事なんじゃないかなという気がする。


例えば自分に子供がいたら
・もしも自分に子供がいたら、「自分の人生を生きる」ことを考える時に、まず心の底から好きなものを見つけろと言う。
流行ってるとか友達がみんなやってるとかではなく、自分で見て自分で感じて本当に心から好きだなと思えるものを見つけろと言う。
・もし見つかったら「いろんな障害があるだろうけどとことんやれ」と言う。
そうなると今度は「お父さん、好きなことやってたらボコボコに殴られたよ」と言ってくると思う。『関係ない、やれやれ』と。
「好きなことをやってたら、友達から変人扱いされて周りから人がいなくなって孤立しちゃったよ」となったら『ああ、それはきついね。でも、ようやく第2段階だね』。
「女の子からも相手にされないし、振られちゃったよ」となったら『惜しい、もうちょっと。あとちょっとで君、本当に好きなもの見つけられるよ』と言いたくなる。
・最後には、「もしお前が何か打ち込んだ時に、場合によっては俺も敵に回るかもしれないよ。お前の好きなものを俺は理解できないから。そうなれば俺も敵だ。もしかしたら幻滅するかもしれないし、勘当するかもしれない。でもそれでもやりたいと思うものがあるなら、お前はやらなきゃいけない。」と言う。
・自分の人生を生きるためには、自分の好きなものを見つけてやるのは必要な準備期間。準備期間を邪魔する相手が例え親だったとしても戦わなきゃいけない。敵だと思わなきゃいけない。
そういう風にやってると色々なものが不足していると感じると思う。お金がない、人から褒められない、友達が出来ないとかそんなものは後からどうにでもなる。「お前が今足りないと思ってるものは、いつかなくなる。でもお前の本心、好きなものはお前が死ぬまで付き合っていかなきゃいけない。他の何がなくなっても自分の本心は常について回るから、そこをごまかすとゲーセンで殴られたときになんて俺は情けない奴なんだと悩んでた俺みたいになる。」
それならまだいいけど、あまりにも自分の本心を隠してずっと生きていると「あれ?本心なんだっけ?」というのが一番おっかない。
「俺これが好きだったような気がするんだけど、あれそんな好きじゃないかも。何が好きだったんだっけ?」ということが全く分からなくなる。
それを年を取って取り戻すのは骨が折れるぞということを、子供に伝えたい。


逃げない姿勢が大事
・ゲームセンターのドアを開けた時の話は、ただの自己満足だと思うかもしれない。でも、そこでドアを開けないで帰っていたら今の立場はない。日本人初のプロゲーマーになることは100%なかったと思う。
・格ゲーはどんなにセンスがあってどんなに努力しても、勝負事なので衝突が起きる。ライバルを倒すためには、才能だとか努力も大事だけど、結局は気持ち。
俺は絶対ここだけは譲れないんだっていう迫力で、相手は何となくあきらめていく。ばかばかしいやと思っちゃう。
・もしあの時にばかばかしいやとドアを開けずに帰ったら、色々な事を理由にしてゲームをやめる奴になってると思う。流行らないとか金にならないとか、人から馬鹿にされるとか。対戦してても「なんだよこの糞キャラどうでもいいよ」「こいつずっとゲーセンにいるな、こんな奴にかなわなくてしょうがねーよ」とかやめる理由はたくさんある。
・若い人たちがプロの世界に入るのはいいと思うけど、本当にそれ好きなのか?理不尽な思いをしてもやれるのか?ということをよく考えて貰いたい。






質疑応答
Q.プレイ以外で求められる仕事はやりたくないところがあるか?ジレンマがあったりするのか?
A.プロゲーマーになった直後は、ゲームのこと以外考えられなかった。仕事に慣れてきてインタビューや本の仕事が増えてきたときはやりがいを感じた。
今みたいなオフシーズンの時期には講演があったりしてゲームが出来ない日がある。
今回講演をやるにあたって、自分は何をしたいんだろうという本心を探らされた。
長時間自分と向き合って、自分が本当に何を考えているのかということはすごく大事なことだと思った。
本心を押し殺していろんな都合でごまかして生きていくのはやめたほうがいいと、初めて人の人生に言ってもいいと思った。
こういう機会がないと、自分の内面を掘り下げて人に何か伝えてもいいんじゃないかということは生まれないので、年に1回くらいだったらこういう講演があってもいいんじゃないかなと思った。


Q.会社内で誰もやっていないことを自分1人でやろうとしている。人の目に向き合ったことがあるか?どう解決するか?
A.人の目を気にして自分のやりたいことを我慢すると、人といるときは楽だと思う。でも家に帰って、何であの時言えなかったんだと、自分が自分を情けないと攻めてくる。周りから批判されるよりも、そっちの方がよっぽどつらいと思う。
自分の本心は一生モノ。職場の同僚はいつまでもいるわけじゃないし、いざという時に助けてくれるわけじゃない。
どっちも嫌だけどこっちの方がましだな、と勇気を出して自分の考えを信じて行動に移すという生き方をしているつもり。


Q.明日死ぬとなったら後悔はあるか?
A.たまに考える。よく冗談で言ってるのが、「あ、やっぱり?」って思う。これだけ好き勝手やってきて、好きなことで飯食って夢みたいな話だなと思う。
「やっぱり?」って思うほど人生を満喫してきた。後悔はないし、そうならないように日々心掛けてるつもり。


Q.ゲーム以外でもウメハラ選手にとって、成長に必要だと思うものは?
A.今回の公演を考えると、ストップウォッチを持って歩くべきだった。格闘ゲームでは日々成長していると思うけど、これ以上にいい取り組み方はあると思う。これ以上の努力、取り組みの質を上げるよりも、健康に気を使ったりする方が年齢を考えると良いのかなと思う。


Q.eスポーツにバブル的な部分がある認識もある。今後こうしたらいいという道筋や案があるか?
A.今のeスポーツの動きは、プロゲーマー1号としてではなく個人的な意見として、ありがたいけど一番楽しかった時期がおわっちゃったのかなっていう寂しさがある。
RPGでもラスボスが分かるとストーリーが大体見えてエンディング見なくてもいいかなとやめちゃうことがある。それがいろんな事に対して自分は当てはまる。
2010年からプロゲーマーになって格闘ゲームを広めようと道中は楽しかった。
舗装されていない獣道を歩いていた。
これから先、大きな力が働くともう開拓はさせてもらえないなと思う。
まわりが勝手に動いてきて制度が出来て、その中で自分がどう生きていくかとなる。
いつかはこういう時が来るだろうなとは思ってたけど、自分の中で大冒険をしていた一番楽しい時期が終わりを迎えつつあると思う。

それでも、自分の遊び場というかこだわりを詰め込んでいるのが獣道。
一緒になって良くしていこうと思っても性格上できない。
そっちはそっちでやって、別に邪魔しないよ。でもこっちはこっちで居心地の良い空間を作らせてもらうよという住み分けの時代になるのかなと思う。
協調性のない連中が協力して何か1つのことをやっていくのは無理だと思う。
全体として良くしていくというより、それぞれがやりたい事をやればいいんじゃないかなと思う。


Q.だんだん海外のレベルが上がってきている。日本のプレイヤーの強みは?
A.もし本当に北米の方がレベルが高いとなったら、移住する人も出てくる気がする。
ただ、自分の目から見て贔屓抜きに格ゲー、特にストリートファイターは日本が一番強い。
トーナメントで1,2回別の国の人が勝つことはあるけど、総合力では環境的にも日本が一番いいと思っている。
だから海外に移住した場合は、最高の環境を手放さなきゃいけない。
だから感情的ではなく合理的に判断して日本に住んでいるんだと思う。


Q.好きなことが見つからない場合、どういう努力をしたらいいか?
A.とにかく色々やってみるしかない。見つけるコツはない。
自分の人生のかなり早い段階で見つかったのが幸運なことだったと思う。
格ゲーに先に出会わずに麻雀にいっていたら、たぶん麻雀が世の中で一番自分の好きなものだと思ってたと思う。
手段として出会ったから好きになり切れなかっただけで、そういう気持ちなしに出会っていたら本当に好きになっていたかもしれない。
好きというのは、それで終わらなきゃダメ。
私は講演が好きですという人がいたら、講演したそこで完結しなきゃいけない。
ゲームが好きならゲームをしてそこで終わりじゃなきゃダメ。ゲームをして褒められようとか、プロゲーマーのくせに何を言ってるんだと思うかもしれないけど、そういう気持ちでやってきたから特別なものになっていると思う。
それをやることで自分にどんな見返りがあるんだろうと考えたときに、心が満たされるとか友達が作れるとかそういう動機ならいいけど、これをやっていると褒められるとかいずれはビジネスになるんじゃないかと考えているなら、それは本当に好きなものじゃない。
自分が無償で取り組めるようなものが何なのか?と考えながら探すと発見しやすくなる気がする。


Q.自分の中に染み付いた嫌なことをどうすれば変えられるのか?夜、自分を責めなくなるのか?
A.責めるのも許すのも自分。当時はこれをやったら自分を許すとピンときた。
自分がそれで許す気になったというのが大事。過去は変えれないので、自分の納得の問題。
人じゃなくて自分で決めていくしかない。ここで言ってもそれが解決策じゃない。もしかしたら滝に打たれることが解決策かもしれないし、人によって違う。
それでも自分のように俺の本心は何なんだ?と175km歩きながら考えていると見えてきて、見えてきた本心に従うのが一番いい解決策だと思う。


Q.今まで行った大会で二度と行きたくない大会、何回でも行きたい大会は?
A.移動が苦手なので、アジア圏なら近いし食べ物も日本人が苦手じゃない味付けなので行きやすい。
行きたくないかー・・・こういう結構翻訳されたりするからなー。
ひとつだけ、具体的な国は言わないですけど、ちょっとこの国苦手だな、この国のコミュニティ苦手だなって思った国がある。
eスポーツが北米とか韓国で徐々に色々な国で広がりつつあるけど、基本的にはまだまだ日陰のジャンルだなとどの国に行っても変わらないと思う。
大抵の国は明るい。自分たちのやっていることに対して、社会的に堂々とするのは難しいはずだけど大会とかの場では生き生きしてる。
まれにその暗さというか、自分の中の不満が消えてないコミュニティがあったりして、残念な気持ちになる。
共通の好きなものがある人たち同士の時は、思いっきり楽しまないと自分の気持ちを癒せる場がないんじゃないかな思う国があった。それが限界です(笑)


Q.好きなこと、夢をあきらめざるをえなくなった時、例えば介護の仕事を始めた時のゲームに対する後悔はなかったか?
A.ゲームに対する後悔はあった。麻雀時代は熱中していたので、いい思い出だったくらいだった。
麻雀も結局ダメになったときに、あの時ゲームやっていれば色々選択肢があったのにと思った。
それからしばらくしてスト4が出てやった時に、「ゲームやっても仕方ないじゃん」「ゲームをやるんだったら本気でやりたいから、忙しくなるようならゲームをやりたくない」とかいろいろな建前をつけてやってなかったけど、人からやりなよと言われてやった時に、やっぱりこれだけは違うなと思った。自分の中でこれだけは特別なものだと本心が分かった。
その時はプロもなかったので、仕事は別にしながらやっていけばそれでいいかなと思った。
こんなに好きなものがあったことに感謝した。
プロになってなくても、若いころにゲームを本気でやっていたことが、人生長い目で見たときに救いになったと今は確信を持って言える。


Q.獣道など他のプレイヤーのための活動をしている。心境の変化があるのか?
A.心に余裕が出てきたんだと思う。自分の核となる部分、根っこをしっかりしておけば遊びがきく。
俺は格ゲーが好きなんだとか、何でもいいから自分の中にしっかりあって、それに対して本気で打ち込めば自分の中心が固まってくる。俺の中心はもうだいぶ固まった、ちょっとやそっとじゃ吹き飛ばされないなと思うと、中心は大事にしていくけど、ちょっと色んなことをやってみようかなと気になる。
土台を固めてから他のことをやる方が楽だし、仕事でも土台が出来てきたので他の人に目がいくようになったと思う。


Q.個人配信で、去年の対談で自分の悩みがなくなったと言っていた。どういう内容を話していたのか?
A.あれはいいインタビューだった。インタビューにも当たり外れがある。今さらそんな質問するのかよ?ってがっくりする時はインタビューの時間が苦痛でしょうがない。中には鋭い質問をする人もいる。
その人は質問が鋭いのではなくて、自分の話を聞いてこの人は今こういうことを考えているんだろうなと察した人だった。
ちょうど1年前はまだ悩んでた時期。その頃急激にスポンサーが増えて、無かった頃には持ちえなかった不安みたいなものがあった。
自分が注目されたことで、えいたとかクロダとか自分がその気になった時に自分の影響で彼らの望みをかなえる手助けが出来たりする。その時に、俺はその気になれば人の欲求を満たしてあげられるのに、満たしてないことになるのかな?俺が何もしないということは、自分の権利を正しく使えてないことになるのかな?と不安になった。
どこかに助けてあげられる人はいないか探す心理になった。いろんな人を助けないと自分がまわりまわってひどい目にあうんじゃないかという恐れがあった。
実際、自分が手助けする時に「こいつ努力しねえな」って思うことがある。これはえいたの話じゃない。「なんかこいつの言ってること嘘くさいな、軽いな」とか、これはえいたのことですけど。
そう思っちゃうけど、それは押し付け。俺の他にもう少しこういう講演で本心を話す人が2人、3人出てこないかなと思ってた。それをインタビュアーにポロっとこぼしたら、このままいくと危ないですよ、自分の力でどうにもならないことをどうにかしようとしてる、ウメハラさんみたいな人を何人も見てきましたよって言われてドキッとした。
「自分が一生懸命仕事をしていれば、見てくれてる人がいて自分を必要としてくれる。僕は先のことなんて考えずやってきたけど特に困ることもなくやってこれたんです。だから先のことを悩むんじゃなくて自分が楽しいとか自分のことに集中した方が結果として周りが助かるんじゃないですか」と言われた。
家に帰って、今までさんざんゲームばっかりやってきて今更将来の不安とかいい加減にしろよと思った。そこから気楽に生きれるようになった。あのライターには感謝している。


Q.プロゲーマーの先があるように感じる。
A.ゲームは自分にとって土台。プロゲーマーとかギネスとかはありがたいけど、一喜一憂しないしあまり関心がない。子供の時にクラスのリーダーみたいで話すのも好きだった。でも重要な場面になると自分のことを考えている人がいない。力で人に言うことを聞かせたり、人気についてくる人間関係を作っていた。褒められても子供の頃のことがよみがえって喜べない。土台作りを終えた今となっては、いい人間関係を築いていきたいというのはある。プロゲーマーのネクストステージは考えていない。後回しにしてきたいい人間関係には関心がある。


Q.好きなことを仕事したことで義務みたいになったり、しがらみが出来たことは?
A.結果として仕事になったけど、好きなことは仕事にならなくてもいいと思う。仕事になるからやるとなると、麻雀時代の話みたいにちょっと嫌なことがあるとやめてしまう。
本当に好きなものは仕事になるかどうかとか、人からどう見られるかは本質的に無関係。
仕事にしたことで嫌なことはだいぶあった。自分がただ好きで社会的な理解を得られずやってきた期間がとても長かったので、あの時が理想だなと簡単に思い描ける。
過去の自分が理想。取り組み方としては完璧。あの時にならってやるようにしているので、躓きとか悩みは少ないし修正できている方だと思う。


自分の人生を生きる
「たかがゲーム」と言われても

講師:プロゲーマー 梅原大吾
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1133386.html

ウメハラ選手が2月4日(日)14時からNHK文化センターで講演、BeasTVでも配信決定!!

http://chigesoku3.doorblog.jp/archives/52881302.html